やろうと思ったきっかけ
闇の自己啓発の次の段落を読んで興味を持った。
僕にとっての幸福は、生活に困らないだけの健康とお金があること、異物が排除されない世の中になることですね。衣食住足りて礼節を知るというか、最低限そこが満たされないと生きるのは苦痛でしかないので。同時に、みんなの幸福を優先する幸福最大化社会は、僕みたいな人間がはみ出し者になっちゃうっていう自覚があって、嫌なんですよね。先ほどの木澤さんの話にもありましたが、たとえばみんなが日常系萌えアニメを見たいと決まってしまえば、ハートフルよりもハードコアなアニメが好きな僕の幸福は無視してもいいってなりかねない。かつての教室の片隅で震えていた自分を思い出し、つらくなります。「俺は青空よりも陽菜がいい!」と思うし、『沙耶の唄』的に言えば周りの「肉塊」たちが正しいとされる世の中で、帆高のような少数派による価値の転換、「愛」による革命が起きることを望んでいるのかもしれないです。
闇の自己啓発(早川書房)p.122
帆高は『天気の子』の主人公で、ここではセカイ系の物語としてのクライマックスを意図している。
問題は『沙耶の唄』で、作品解説は注釈付きで次のようにある。
2003年にニトロプラスから発売された(アダルト)美少女ゲーム。アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』で一躍有目になった虚淵玄氏の過去作としても知られ、以前、当読書会でも題材として取り上げた。主人公の郁紀は、交通事故によって両親および自分の正常な知覚を失い、人間や物、世界が全て汚い肉塊に見える(感じる)ようになってしまった医学生。そんな彼を、以前からの友人たちは心配するが、主人公目線で彼らは肉塊でしかなく、その優しさは届かない。一方で、彼は入院中に「沙耶」と名乗る少女に出会う。狂った世界で、彼には彼女だけが美しい少女に見える。郁紀は彼女を愛し、彼女の願いを叶えるためにどんどん狂っていく……という物語。あるひとつのエンドでは、ヒロインの沙耶が背中から翼のような花弁を広げ”開花”することで、鱗粉をバラ撒き、世界の在りようを塗り替えた。
闇の自己啓発(早川書房)p.123
闇の自己啓発
いかにもやばそうで面白そうに思えたのでやってみた。
やってみた結果
意外と5~6時間で呆気なく終わった。
友人たちがカワイソス。
元ネタがクトゥルフで、クトゥルフ全般に興味を持った。
けど、ネクロノミコンとかLeafやNitroの作品を全部やろうとすると時間もないので諦めた。
これが大人になるということか。
むしろこの作品はプレイした人間の精神の闇を投影する鏡として使える。
面白かった考察はこの辺り。
【アルコール依存症】PCゲーム『沙耶の唄』で読み解くアルコール依存症患者の心理
二番目の記事はカミュの異邦人と比較していたが、沙耶の唄をプレイした日の夜に異邦人も読んだけど、SFゲームと小説の違いは大きかった。
ラストはちょっと似てたかな。
あとは途中で意味不明な決闘をするとことか。
私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだった。
カミュ, 異邦人, pp.130-131(新潮文庫)
異邦人(新潮文庫)
ゲームだと能動的にストーリー展開を選べる分、作品に引き込まれる。
作者の虚淵さん的には、自分の価値基準で生きることの大切さを訴えたかったんじゃないかな?
それにしても、沙耶は理数系が得意なのに社会に興味があるようなので、数理社会学を教えたい。
元ネタは手塚治虫の火の鳥だけど、改めて漫画の神様だったのだと思われる。
火の鳥 1
三つのエンディングの中だと、真っ白な精神病院の壁を眺めながら、携帯画面越しに沙耶と交流する場面が良かった。
愛について学ぶには必須の作品であった。
フロムの愛するということと合わせて読むと一層理解が深まるでしょう。
愛するということ
あとは曲、特に「SHAPESHIT」が良かった。
全部の曲がSから始まっている。
沙耶の唄 オリジナルサウンドトラック
これからはS-CLIPのSはSayaのSという意味も追加しよう。
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